私たちの想い

「心を病む」ということは、私たちの「暮らし」から遠い距離にある景色ではありません。
精神障害者を身近な存在としてこなかった地域社会に
一人の住民として迎え入れる素地を作ること、
「他人ごと」から「他人ごとではない」という新しい文化を創造してゆくこと
…HEART LANDの小さな願いごとです。

理事長山下犬のブログへ
スタッフ阿部過去のつぶやきへ
「岸さん そして 奥様との出会い」 「未来の扉に手を掛けたあの時」 「1年間 よう頑張ったな」 「みんなで弁当屋でもするか」
HEARTLANDAnthology人の中に・街の中に

Episode 1

エピソード1

岸さん そして奥様
今ある全ての日々はこのお二人との
「出会い」からでした。

 京都から見ず知らずの徳島に流れ着き勤務した精神病院。精神医学ソーシャルワーカーとして心病む人たちと関わる日々が約7年重ねゆきました。病棟の患者さんそして外来の患者さん、そしてご家族の方々、一人一人の「声」を一人一人の「声なき声」を耳にしながら、より良き「未来」への模索を共に思案し続けた日々でもありました。時はまさに社会復帰施設の法定化の頃、退院促進・地域生活支援・就労・アパート探し・年金申請や生活保護等の経済的諸問題への支援、際限なき「関わり」の日々と共に僕はそこにいました。中途障害としての心の病や障害‥人の心は壊れるのだと知り行く中に、そうした心がもう一度再生されて行くのは一体何処なんだろうと‥そんな自然な探求がやがて一つの指標として僕自身を駆り立てるように動かせて行きました。「人の中に・街の中に」 人の中でそして街の中で疲れた心が在るのだとしたら、再生されて行くのもやはり「人の中・街の中」ではなかろうかと‥

エピソード1

病院を退職し立ちあげの準備を進めたHEARTLAND

 「みんなが集まれる場所を」そう願い続けた活動拠点確保への道程は困難を極めたものでした。 断られ続けた賃貸物件探しの日々「あんたは医者なんで、何かあったら責任取れるんで」「そんなんには貸せんなぁ」途方に暮れた四季が一巡りした頃、 もう僕達には「未来」を夢見る気力さえ薄れ始めようとしていました。

 そんな絶望にも似た岸辺の果てに僕達は岸さんと出会うのです。二つ返事で「いいですよ」と賃貸物件の契約を快諾、 太陽と緑の会代表の杉浦さん、そしてHEARTLANDの理事を務める岸田さん、岸さんに導かれる様に見学した北島田の賃貸物件に立った時、 こぼれ落ちゆく幾重もの涙を誰一人止める事は出来ませんでした。

あの日あの時、あの場所で僕達が出会う事のできた岸さん、それは神様からの贈り物にさえ見えた「一つの出来事」であったのです。  今在るHEARTLANDの全ての日々は、この瞬間から全ては始まって行ったのです。

Episode 2

太陽と緑の会 杉浦さんと
未来の扉に手を掛けたあの時

原NPO法人太陽と緑の会代表杉浦良さんとの出会いは見ず知らずの徳島に京都から流れ着いて間もない頃の事でした。知的障害を持ち問題行動の多々あったTさん、精神病院への入院を余儀なくされた数ヶ月、その退院後の居場所を探して辿り着いた行き先が太陽と緑の会リサイクル作業所でした。今の建物とは違う古びた作業所の二階にあった小さな事務所、その場所が初めての出会いの場所となりました。  個人的な感傷も含めていつもどんな時も杉浦さんは僕の傍らにいてくれました。20年以上もの歳月が流れた遙か遠き出会いの頃‥
会わない日が無いほどに言葉を交わし続けたあの頃…
病院を離れHEARTLANDを始めようと決意したあの時…
希望と絶望とが交差するようにただ重なり合うだけの冬の時…
たった一つの確かな事は杉浦さんと「共に在る」安心感だけでした。 「くよくよするな 明日はなくても 今はあるだろう」   どんな時も側に居続けてくれた杉浦さんの「言葉たち」がその一行にきちんと重なりゆきます。穏やかに佇むHEARTLANDや街の中の喫茶店・Apple Sweets 工房での日常…共に歩んできた杉浦さんとの歳月は、時を隔てた「今」も時折僕自身をきちんと感傷的にさせてくれます。

微笑む写真は北島田あっぷるの階段敷設工事のスナップ。

何一つ無いところからの始まりに全国から500名を超す賛助会員の方々からの支援が運ばれて来ました。様々な形での支援は途絶える事は無くとも、公的資金の運営補助が1円たりとて無かった舞台裏、朽ち果てていた階段を新たに敷設する費用は何処からも捻出出来るものではありませんでした。・杉浦さんの相棒である櫛田さんが図面を引き設計、鋼材調達・搬入・溶接・敷設‥その全てが自前の「階段」が設置されたのです。机 事務機器 食器や家具什器 その他全ての備品は杉浦さんからの頂きものでした。

NPO法人太陽と緑の会 杉浦良さん
偶然の様な出会い‥そして今日まで共に在り続けてくれた歳月‥
大きな人は今も静かに、僕自身とHEARTLANDの傍らで微笑み続けてくれています。

Episode 3

「1年間 よう頑張ったな」

 「もう無理だ止めよう」HEARTLAND立ち上げの頃、一度だけそんな風に答えを出した時がありました。ようやく辿り着いた北島田の活動拠点、そして集い始めた様々な障害や病、訳を抱え持った「彼ら」クッキングハウスと称された夕食会は、毎日毎日16:00から21:00頃まで開かれていました。「今晩のご飯は何にするで」ポケットからそれぞれが¥300を出し合っての夕食作り、近くのスーパーに買い物に出掛け調理‥そんな風景がやがて「働く場」としてのお弁当製造販売あっぷるへと様を変えて行きました。大きな基盤も無く大きな後ろ盾も無い一つの活動は、経済的にも脆弱な上、寄せ来る様々な軋轢や北風の中、たじろぐ様な日々と常に隣り合わせに在りました。理不尽で先行きの見えない日常の連続に未来を夢見る力さえ枯渇し始めていました。

 当時、愛媛県精神保健福祉センターのPSWとして在職していた徳永佳勝さん。「家族会=徳永」その名を全国に知らしめていたその人は、精神病院在職時より僕にとっての「憧れの人」でもありました。HEARTLAND設立の草案を抱え訪ねた松山、そして全ての経緯や状況を伝え行く日々、不透明な日々を支え励まし続けてくれたのが徳永さんでした。

冬枯れの進みゆく歳末を、故郷の京都に包まれて過ごした数日、「もう無理だやめよう」導き出した一つの結論を抱えながら徳島に帰り着きました。一番お世話になっていた徳永さんに最初にその旨を伝えなければ‥そう想いながら国道沿いの公衆電話に立ち寄ったのです。味気ない呼び出し音が途切れたと同時に聞こえた徳永さんの言葉 「1年間よう頑張ったな‥」
用意してあったはずの言葉は宙を舞い、その一言を発する事が出来ませんでした。後はただ訳もなく涙がこぼれ落ちた電話ボックスの箱の中、あらためて小さな「覚悟」を決めた瞬間でした。
受話器の向こうの言葉が「無理無理、もうやめたらええんじゃ」そんな言葉であったら‥今この場所の日常は無かったはず…
 
 くずれそうな一つの覚悟が、もう一度背筋を伸ばしたあの瞬間優しく誘うように「今」へと結びつけられて行ったのです。

Episode 4

「みんなで弁当屋でもするか」

 「時は目に見えるものではないのだから、HEARTLANDの17年を机の上に積み上げることはできない‥」そんな感傷にフト捉えられていく自分自身がここに在ります。けれど17年前の自分自身に、そして社会の小さな片隅、北島田でお弁当作りを始めたあの頃の僕達に、今の街の中の喫茶店あっぷるやApple Sweets 工房の風景は到底想像できたものではありませんでした。「流れ去る時の日々は時計の中にはなく、私達の心とからだのなかにある‥だからこそ僕達は、生きているという手ざわりのある実感をとおして、この今を17年の歴史とつなぎあわせることができる‥」そんな事さえフト想いゆくのです。
 ひとりの人間が何者かを知るために「学校はどこ」「職場はどこ」と繰り返し自問するこの時代にあって、あたりまえに学ぶこともあたりまえに働くことも制限された障害や病を持つ人達がうごめく様に北島田僕の目の前に在りました。
「働きたいんや」「自分達のことを発信して行きたいんや」「病気になったけど生きとってもええんだろ山下さん」「自分はいったい何なのか」「なぜこの街はこんなに遠いところにあるのか」うごめく様に集い来る「彼ら」はその問いに答える言葉を持ち合わせてはいませんでした。鳴門市から30分以上もの距離を超えて毎日集い来ていた彼がこんな風に呟きました。「何か自分達で始められる事はないだろうか」「病気や障害を持ってしまったけど僕達にだって出来る事が何かあるはず」若い頃しらすうなぎの漁を生業としていた中年の彼が続きます。「働いて金儲けて一回でええけんええ暮らししたい、しらすうなぎの作業所するで、まだ全国にも絶対ないはずでよ。」「このまま歳を取って年寄りになった時、病院か施設かしか無い、そんな寂しいのは嫌やわ」

長い長い沈黙の後、「弁当を作ろう、お弁当を作ってお弁当の帯にメッセージを書いて‥それをたくさんの人に届けよう」あっぷるのお弁当が生まれた瞬間でした。「施設か病院か‥」もし、彼らの生きてきた人生が、彼らにこんな答えしか用意できなかったとしたら、もし彼らの誠実に生きようとする日々が、この街でひとりの市民としてあたりまえに生きていくことを拒否されたところで繰り返されていたとしたら、それは彼らの問題ではなく、この街全体の問題ではないだろうか‥そんな事が脳裏をかすめた瞬間、今日へとつながる一つの方位が定められたのでした。

「みんなで弁当屋でもするか」

 短くも重たい会話の断片をつなぎあわせた時‥HEARTLANDが生まれた瞬間でした。 障害者自立支援法がその名称を変え一部改正となった障害者総合支援法がこの4月から施行されました。法やサービス体系は時代を投影させながら変わりゆくものであったとしても、障害や病を抱え持つ人達の問題をどう自分自身の生活の問題として位置づけていくのか‥今日を生きる私達社会の問題としてその命題は変わる事なく問い続けられて行くはずです。「障害者があたりまえの市民として暮らせる給料や生活保障を‥障害のある人もない人も共に担い、共に働く場づくりを‥」 華やぐように映りゆく街の中の喫茶店あっぷるやApple Sweets 工房を眺めながら新しいステージへと対峙してゆく今日の日と未来への模索を確認する初夏の頃です。